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あれから20年 [世間話的ジジ問題]

SNS利用が増えていますが、
BLOG記事も更新せねばなあ・・・

震災の日の記事を、転載します。

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20年になるんだなあ、あれから。
被害に遭った方々に追悼の意を表します。
私は当時も大阪住まいで、ものすごい揺れと、停電、モノが落ちたりではあったけど、「被災」はしなかった部類である。
友人知人は大勢被災し、何もできないことに悩み、普通の生活を送ることが後ろめたかった日々。
ほどなく関西の日常は一変。
自分もその渦中に巻き込まれ、一年後には、仕事、住まい、その他諸々、いろんなものを失い、精神的にもダメージを受け、家庭の事情も一変、被災者の方々から遅れること一年で、ゼロからのスタートを切った。
震災のニュースを見ると、無残に崩れた関西の街々、傷ついたたくさんの人々の姿とともに、緩やかに壊れて行った自分の日常と、思ってもみないところまで流れ着いている20年後の自分の「いま」を思う。
被災者の力になるどころか、周りのたくさんの人の助けによりすがってここまで来た。
震災の日に相応しくないかもしれないけど、深い感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、もう少し歩いて行こうとおもいます。がんばれ、弱い自分。

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戦争体験者のお話より [世間話的ジジ問題]

<長文です、でも、みんなに読んでほしい>

〜戦死した父の眠る場所を捜し続けた方のお話の中から〜

インタビュアーの人に答えて、そのAさんがお話をされる、という形式でした。

お父様の出兵が決まり、いよいよ見送りに。

兄が、「これで、親父とは最後なんかなあ・・・」「絶対、帰ってきてくれんと。」言いながら、去って行く列車を見送る。
こっちも見えなくなるまで手を振って、がんばってねー、言うたけど、親父の方も、戦闘帽を、もう、ちぎれんばかりに振って、あれは、こっちに、「がんばれよ〜!」という必死の思いだったんでしょうね。

まもなく、親戚を通じて、フィリピンにて戦死の知らせが来る。

知らせが来てから、3週間ほどで広報に載りましてね、
無慈悲なもんです。斯く斯く然然で・・・、たった14文字ですよ。
それから、遺骨が届いて、親父が最後はどんなふうだったかな、という思いで、
家族でね、蓋を、少〜し開けてみたんです。
中が少し見えた瞬間、
「これはいかん!」言うて、思わずみんなでまた、蓋を閉めました。
中には、箱の隅の方に、石ころと、小さい炭のようなもんが、重なって入ってるだけ、
こんなもんが、親父であるはずがない。
ゆるく結んであった布を、こんどは、蓋の上から、かたくかたく結びなおしました。
小学校一年だった私は、涙も出ませんでしたね。
悲しみと言うよりは、あのときの感情は、怒りのような気持ちでした。
普通だったら、家族が亡くなったら、葬式をあげて、ていねいに埋葬して、
そうして、残されたもんが、気持ちの整理をつけていくわけじゃないですか。
それを、そんなわけのわからんもんを、「親父だ。」言うて突き返されても、
どうにも、納得いくはずがない。
そして、「これは、親父やない、どっかで親父は生きてるんやないか。」
と、考えるようになりました。
それから、いつも、寝る頃になると、
シンとした表を、革靴の音がするとですね、
「親父が帰ってきたんじゃないか?」
と、何度も何度も飛び起き、そして遠ざかっていく靴音に、何度も何度も落胆しました。

それから、一年半たって、母親も他界する。
働き手を失った家族を支えた苦労がたたったのである。
Aさんは、学校に通いながら、地元の産業である炭を運んだり、むしろを折ったりして、駄賃をもらい、生計の足しにする。
そして、中学を出て、就職。

みんなが、学校終わってからも、家で勉学をする時間を作って、上の学校へ進級していくのに、
こっちは、生活もままならなくて、勉学どころではない、
くやしくてくやしくて仕方なかった、
戦争さえなければ、普通の子どもの暮らしが送れたのに、と、ずっと思ってて。
戦争が終わって、終戦終戦と言うけれど、
私たち家族にとっては、それからが戦争でした。



それから、だいぶん経って、Aさんは、あることがきっかけで、お父さんの亡くなった地を訪れようとするのだが、調査に調査を重ね、ようやく探し出した場所は、政府の広報の14文字の中にあったフィリピンなんかではなく、ベトナム沖だったそうだ。


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さっき、ラジオをつけたまま、車を運転して帰ってきてるとき、
たまたま始まった番組であった話に聞き入ってしまい、
急いで書き留めてみました。
本当は、話の趣旨は、戦没の地を探し出す苦労などにもあったけど、
私は、Aさんの子ども時代の話が、ご本人の語りなだけに、
あまりにも衝撃的すぎて、そこのところを抜き出してみました。
自分の表現はなるべく入れず、聴きとった内容と、実際に話された表現に忠実に抜き書きしました。

小学一年といえば、うちの子どもとそんなにかわらん。
そんな子どもに、こんな思いさせるのが、戦争。
そんな子どもの残りの人生をうばうのが、戦争。
この方が、特別ひどい目にあったと思いますか?
当時のたくさんの子ども達が、同じ思い、もっと悲惨な体験をしたわけです。
私の文章では、うまく伝わらないと思いますが、
聴いてて、もう、胸が詰まって、息もできなくなりそうでした。

実際戦争したら、こうなる。
アメリカに守ってもらうから?
アメリカの若者も血を流しているから?
そんな、理由がどうあれ、
とにかく、上記の結果になるわけです。
するべきか、せざるべきかを、もし論じるなら、
「なぜするか」より、「したらどうなるか」を考えてほしい。
理由なんて、結果を前に、意味なんてないのである。
戦争も、原発も。

そういうことは、見えにくい(見えない、ではない)ところに、隠されている、巧妙に。
そこのところを、一生懸命探し出して、見ないと、と、思う。
見れば見るほど、つらいし、自分程度じゃ、とてもじゃないけど、どうしようもない、と、感じる。
でも、みんながそう思ってしまったら、本当に終わりだから。
やっぱり、たとえ微弱でも、死ぬまで声を上げ続けようと思う。
子ども達のために、そして、自分たちのために。

急いで書き上げました。
表現のおかしなところ、流してやってください。

梶栗麻紀



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ショクダイオオコンニャク [世間話的ジジ問題]

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すごいな、これ。
地球外生命体ってかんじだな・・・。
クサイらしい。
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原子力発電所って。 [世間話的ジジ問題]

しばらく休筆しておりました。
原因は、東北の震災、特に、福島原子力発電所の事故。

しばらく心配で、
本当のことが知りたくて、
インターネットや新聞のニュースなどをいつもより丁寧にチェックする日々。
そのうちに、新聞の記事で見た、山岸涼子さんの「パエトーン」を、
行きつけのカフェで、偶然読むことができた。
驚くばかりの事実の数々、
知らなさすぎた自分、でも、こんな大切なこと、すべてが事実なのだとしたら、
もっとみんなが知っててもおかしくないんじゃないか?
原発行政って、どうなってるん?
様々な疑問や不安がたくさん・・・。

そもそも、
私の世代は、小学生のころ、
「ピカドン」という、広島の原発の記録映画を学校で鑑賞させられ、
夜も寝られないくらい、コワイ思いをしてまで、
放射能の恐ろしさをたたき込まれたのではなかったか。
私の住んでた地域だけだったのか?
(ちなみに、大阪府豊中市。)
唯一の被爆国として、核廃絶を訴えて行かねばならないと、教育を受けたはずだが?
いつのまに、日本人が全滅しても飽き足らないくらいの放射能が、
行く当てもなくあちらこちらに貯蔵、放置、そして放出され、蓄積しているのか?

そこで、
「原子力反対」
と、叫ぶその前に、
あまりの勉強不足では、自分も納得できない。
そこで、目下、ニュース、雑誌、書物、などで、勉強中なのである。
しかも知れば知るほど不安は増大するばかり、
寝る前には、関係書類を読まないようにする、など、工夫が必要なのである。

果たして、本当に、
「原子力なしには、電力が足りない」のだろうか?
原発推進派の意見も、勉強したい。
ここまで原発が必要視される理由がちゃんと知りたい。
推進派にも、歴とした言い分があるはずだ。
しかし、今のところ、理屈の通った原発必要論にはお目にかかれていない。

人間なんて勝手もので、
私ももし子供がいなければ、持ち前の諦観論で、
「そういう末路も、人類そのものの終焉のありかたなのかなあ・・・」
などと、無責任で一生を終えてたに違いない。
自分には、なにもできないし、世の中の大半のことは、
知らずにいたほうがいいことばかりだ。
しかし、我が子に向き合い、
幸せな人生を送らせてやりたいと望むとき、
大量の放射性廃棄物という、とんでもない荷物をこの子たちの世代に背負わせていくことはできない。
もしかすると、私たちの世代は、もう、それを背負わされているのかもしれない。
少しでも、食い止めることは、子を持つ親のつとめではないか?
何の努力もしないままでは、子供の瞳をまっすぐに見つめ返すことはできない。

原発の是非を今議論している場合ではないのではないか?
福島の事故は、今なお現在進行形である。
それは、引き金は天災だったが、事故の本質は明らかに人災である。
過ちを速やかに認めて、即刻原発政策の転換、
すなわち、
1.全原発の運転停止
2.万全を期した状態で、廃炉に全力を挙げる
を、私は希望する。

災害で、これほどの数の被災者が苦難の毎日を強いられているときに、
新しく建設予定の原発や、浜岡の運転再開に向けての新防波堤なんかに予算がつぎこまれるとすれば、狂気の沙汰としか言いようがない。

私は、私の立場でしか発言しないし、
私の主観でしか意見できない。
だから、一方通行な形でしか発信できてないことになるわけだが、
小さな小さな一石にでもなればと思って、投げ続けて行こうと思う。
これからも、勉強を続けて行こうと思う。

この話を書かずには、日々の日記なんか書けないと思ったので、
ずいぶん長い文章を書きました。
読んでくださった方、ありがとうございました。

山岸涼子さんの「パエトーン」
http://usio.feliseed.net/paetone/
特別公開です。

それと、「原発がどんなものか知って欲しい」
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
うそや、大げさだと、思えますか?



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天体ショー [世間話的ジジ問題]

日食・・・

全く見えね〜!
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大相撲夏場所 [世間話的ジジ問題]

エライコトになってるのである。
両横綱が負けて、日馬関にまた優勝の可能性が・・・。
すごいよな〜、昨日白鵬に負けたのに、今日朝青龍を破ったその気力はすばらしい!

ところで、豊真将関は14連敗中。
私、けっこうファンなんです・・・。
生真面目な雰囲気が好きで。
明日、なんとか一勝してほしいなあ。
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朝青龍関 [世間話的ジジ問題]

休場しちゃいましたね。
お騒がせサンですが、私は決してキライではないので、
また、がんばってほしいなあ・・・。
もっとも、今日の休場では、私はかなりオイシイ目をしたわけですが・・・。
旅行に行けるかも!

って、何のハナシだよ・・・。
えへっ >^_^
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金メダルのとき [世間話的ジジ問題]

毎日毎日、オリンピックの番に忙しい今日この頃である。

表彰式のときに、「茉莉花(ジャスミン)」が流れるのがいい。
私の大好きな曲である。

ところで、日本人選手が金メダルを獲得したとき、国旗掲揚とともに、「君が代」が流れるのだが、
あの録音の「いわおとな~りて~」のところの付点の具合が、
な~んか、私の憶えてるのと違うんだけど。

どうでしたっけ?

やわらちゃん、おめでとう! [世間話的ジジ問題]

谷亮子選手、銅メダルおめでとう!
金メダルの期待をいっぱいいっぱいに背負って、
3位決定戦に回って、あそこでの勝利は、
すごい価値あると思う。

金メダルとおんなじくらい価値ある銅メダルだと思う。
お疲れ様。
やわらちゃんは、日本の誇るすばらしいアスリートです!

ところで、昨日の開会式のカウントダウンの、
すごい数の太鼓、圧巻やったなあ・・・。
人間巨大TENORIONってかんじで、
悠久とデジタルの融合っていうかなんというか・・・。
東洋的なものって、やっぱりいいな、と思いました。
自分の東洋人としてのアイデンティティを自覚しなおしましたね。
古く、遣唐使が、唐に文化を学びに海を渡った時代に思いを馳せておりました。
天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも

いかんいかん、
男子体操はどうなった?
もうすぐ、水泳予選・・・。
忙しいそがし・・・・。

出版業界事情〜近頃の文化事情に思う [世間話的ジジ問題]

NHKの「クローズアップ現代」で、現代の出版界の内情を特集していた。

本の売り方が変わってきているそうだ。
毎日大量の本が出版され、書店に納入され、
売り上げの伸びない書籍は、短期間で返品される。
本を売る方は、「ランキング」に依存しているらしい。
書店もメガストア主流になり、
小さな書店はどんどん姿を消しつつあるそうだ。

最近、本屋がおもしろくないな、というのは感じていた。
父譲りで、本好きの私は、以前なら、書店は一日中遊んでられる場所であった。
でも、最近はちがう。
まず、同じ本がたくさん積まれているスペースが多くて、
売り場面積の割に、本の種類が意外と少ない。
雑誌や情報誌、コミックが多く、アート本、文化本、サブカルチャーディープ本が少ない。
雑誌の中でも、作り手のこだわりが感じられるようなモノはどんどん減っている。

ネットで手軽に様々な情報を得る時代、書籍の売り上げ自体が伸び悩んでいることもあるだろうし、
書籍を購入するにしても、インターネットでショッピングができてしまうので、
書店のあり方も変わってきているのであろう。

しかし、やはり、手にとって、内容を確かめてから買いたい本もたくさんある。
先日は「豆料理」の本を買いに行った。
自分の好みのレシピがたくさん載ってるかどうか?家庭で作れるレシピか?
食材は手にはいりやすいものか?わかりやすい本か?

それに、目的なく書店に行って、新しいジャンルの本に出会うことだってある。
大きな楽しみだ。

そういう意味では、ベストセラーばかりを並べて売る書店とは別に、
もっと、ジャンルに特化した書店が出てきてもいいんじゃないかな。
書店主の知識とセンスが問われるような店。
売る側と買う側が、本という文化を共有できるような店。

出版社もしかり。
経営が厳しいのもわかるが、こちらも、出版に携わる方々の心意気を見せて欲しいものである。
何年か前、昔父に借りて読んだレイ=ブラッドベリの作品が読みたくなり、
何軒か書店を回ったが、全く見つけることができなかった。
そんな中、彼の「サウンド・オブ・サンダー」が映画化され、
ほんの一時的に増刷されたブラッドベリ作品がワゴンに山積みされた。
もちろん、あわて全作品買ったのは言うまでもないが、
近年の出版事情をかいま見た気がした。
また、私の中でのベスト作家は、フレドリック=ブラウン。
中学時代にたくさん読んだが、今もなお、読み返したい本である。
多分ほとんど全部持っているので、買い足す必要はないのかもしれないが、
本やめぐりをしたときは、必ずチェックする。
ない。近年、全く見かけない。
そんなにマニアックか?
ためしにネット検索してみると、出版元でも、絶版になっているものが多いことがわかった。
そもそも、文庫コーナーにおける、文学作品が、だんだん減っている。
私は、ばあちゃんになったら、じっくり文学作品を読みあさるのを楽しみにしているのだ。
お願いしますよ〜、出版社さん!

同じことが、音楽、映画などにも言えるのではないか?
量産品をあてがわれ、本当に自分の感覚にぴったりとくるものが捜しにくくなっている。
私の友人知人は、本、映画、音楽好きな人ばかりだが、
オススメのものは、本当に一人一人ちがう。
それを情報交換しあって共有するのもおおきな楽しみだが、
そして、同じモノを好きになっても、ひとりひとり、感じ方は、ほんとうにまちまちである。
その多様性から、自分の感性もどんどん広がっていくのがまた、楽しい。
そもそも、文化や芸術の質というのは、その多様性にあるのではないのか?
もちろんベストセラーが悪いと言っているわけではない。
そんなに人気がでるものは、良さがあるに決まっている。
ただ、多様性を失うことは、本当の意味での文化芸術の「死」を意味する。
なぜなら、文化芸術は、けっして発信する側の一方的なものではなく、
受け手側の感ずるところに負うところが大きいからだ。
「人間」という、面白いほど多様なものに対して、発信する側も、
正念入れて向かい合ってほしいと望むところである。


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